いつか記憶から零れ落ちるとしても

思いやりのある優しい男の子

どの私が本当のオリジナル?



真夜中乙女戦争の宣伝として多数の雑誌の表紙を飾っている。
以前よりも確実に表情のバリエーションが増えていて、れんくん自身の可能性まで感じられ、どの表紙も心を掴まれる。
今回の表紙の雰囲気は全部俳優感が強い。アイドル雑誌等で見る特有のキラキラした華ではなく、爽やかなすっきりとしたかっこよさ、洗練された美しさ、濡れた質感やアンニュイでドキドキする。

いつも通り、映画についてだけでなく、アイドルという職業を全うする中で何を思いどう考えているのか、日頃こちらが気になっていることをちゃんと言葉にしてくれているから嬉しい 。
不安要素をクリアにしてくれると言うか仕事をこなすうえでの思考を話してくれるから安心すると言うか。
そして、読み終えて「やっぱり大好き」となるからますます嬉しい。
遡れば中高生の時。当時は何を考えてるのかわからなくてモヤモヤすること多かったから余計かもしれない。
中学生の頃はそこまで深く考えてなかったのかもしれないけど、高校生の頃はもはや諦めに近かった*1…雑誌で長文インタビューとかなかったからなのかもしれないけれど。
だからインタビューを読んでると、れんくんの人としての成長(大人になっていってること)を強く実感してぐっとくる。
一つ一つが実りのある良い経験に糧になっているんだと感じて、それこそ本人が言うように“豊かな日々”を過ごしているんだなあと見守る気持ちも満たされる。



モネを通して、表情だけで見せる伝える演技が徐々に上手くなってるなあと思っていたのだけれど、本人もそこは成長できてるかなと思っているようで、れんくんの変化や成長にファンとして気付けていたとわかり嬉しい。
でも、目に光を宿す・消すは意識して行っていないと話していてびっくりした…だとしたら目の表現は才能とも言える。
気持ちを作っているので自然とそうなっているのかもと話しているが、贔屓目でなくとも全然見え方が違っていて、それが意図的ではないと言うのだから本当に驚く。
持って生まれた才であるならば今後失わずにいて欲しいと思うくらいだ。

れんくんは外見も中身も演技もどんどん成長して行ってるし、こちらの想像以上に発言が大人だと感じることが多いのだけれど、柄本佑さんについて「自分にないものだらけ」「めちゃくちゃ羨ましい」と言葉にするれんくんは子供だなぁと思う。
素直に言葉にするところ、真っ直ぐピュアだよね。
経験も年齢も差があって俳優一筋を生業とし、世間に名の知られた人に対して、若くて本業ではない男の子が「羨ましい」と言う大胆さと天真爛漫さ。
れんくんの中で柄本さんとの出会いに非常に刺激を受けているというのがよくわかる。
柄本さんのお芝居を見て「自分の頭では思い浮かばない動きやタイミング」「現場で感じた部分を、映画が完成して試写で見たら、カッコいい!って発見した部分がたくさん」とまで話す。
先に述べたようにその差は当然である、のに、その驚きを真っ直ぐに語るのは本当に大胆かつピュアだ。
でも、撮影で演じたものが完成した映画の中でどのように繋がるのか等を見て気付くようになったのはれんくん本人が話しているように観察力が身に付いてきた証なのかもしれない。
今までは演技に「すごい!」と圧倒されることはあっても、完成形を観た時にどう見えるかどう繋がるかまでは言及していなかったように思う。
れんくんの演じるうえでの気付きが増えた気がする。
これは演者としての成長なのだろうとグッとくる。


「どんな役を演じる時にも平等に愛情や思い入れを込めたいと思っている」と話す。
これまで演じてきた役を演じてる時はもちろん、クランクアップ後も言葉の数々から役を愛し大切にしていると感じていたけれど、そういった気持ちで取り組んでいると本人の言葉で知ることが出来て嬉しい。
だから、りょーちんはまるで実在するかのように見えたのかななんて思ったりする。
愛情を注ぐから役に命が吹き込まれ息吹が芽生えると言うか。
坂道くんだって本人かのようだった。花穎様の時も花穎様本人が本当にそこに立っているかのようと言われていた。
それに、お芝居と向き合う機会をもらえてありがたいと思っているといつも話している通り、やはり巡り合わせもあるし本業はアイドルだから演じる機会が決して多いわけではない。
それゆえ(演じる機会は)どれも貴重になるからこそ“平等に”愛情や思い入れを込めるようにしてるのかなとも思う。

「作品がちゃんと糧になってます」「経験で得たものは一番の自信にもなる」って言い切ってくれるれんくんは本当に仕事人として信頼できる。
糧になりますようにと、ずっとれんくんに願ってきたことでもあるので嬉しい。



れんくんの“個を強くする”という考え方を反映できるのが「演技の現場」であるとするならば、それは本人も演じる仕事をやりたいと願うよねと思った。
映像作品に出ることで、多くの人に出会い、れんくん自身も豊かになれて、グループの認知度にも関わってくるときちんと考えを教えてくれるのは嬉しい。
ただ単に“演じたいという欲”だけではないんだなって。
演じることが面白くなるとその他がおざなりになると言うか夢中になりすぎる側面があるので少し心配していた(苦笑)そんなの杞憂だったようでほっとした。

CDセールスとかの数字は人気の指標を表すためには一つの大事なことと思っていながらも「他のグループと比べなくなった」「自分たちのグループがどれくらい売れているのか、他とどれくらい差があるのか…あまり気にしなくなってきた」という考えに変わったれんくんの言葉が少し不思議だった。
いつかのインタビューではどの位置にいるか気になる・他事務所にもライバルはいるみたいなことを話していたのにデビューして3年目の今は考えが変わっている。
高みを目指していたらなかなか出て来ないような言葉だ。
変化したキッカケが気になるのだけれど、その部分の言及はされていなかった。
ひとまず「よそはよそ、うちはうち。好きでいてくださる方がいて応援してくれて、その方達に向かって楽しくパフォーマンスできたらいい」と話しているので、ファンの方に重きを置くようになったんだなぁと、以前のれんくんは割と内側より外向きだったのが。
それがどう作用するのか期待したいところ。
コロナ禍になってから以前よりもファンの方を向くことが多くなった気がする。
もともとこちらの気持ちを汲もうとしてくれるタイプではあるけれど、更に強くなったと言うか…好きで応援してくれる人に向けてパフォーマンスできたらいいというのはそういうのもあるかなあとぼんやりと思う。


「アイドルをしているのでみんながどう思っているのか見られ方がどうなのか」「答えはわからないですけど。だからこそ一回やり直したいというか、みんなが考える永瀬廉というイメージを真っさらにしたいと思うことはありました」
“思うことはあった”という言葉からやはり“れんれんらしい”とファンから言われるのを厭っている部分があるのだと思う。庭ラジでもそういったフレーズが出て来ると少しばかりれんくんの温度が低くなる(苦笑)
ただ「でも今はもういいかな」「リセットできるとしてもどうなるかわからない怖さも出てきてしまう。だったらこのままいくしかない」と、こういう風に思うようになったから直接的な言葉を口にしたり言われたことに対して反応(反論)することがあまりないのかな。
今まで自分自身の捉えられているイメージ(像)について触れられることが少なかったので壊したいと考えていた時もあったんだなあと知る。まさか映画関連の話で知ることになるとは思ってなかったけれど。
ほんとネガティブなことはこちらには言わない人だと改めて思う。
れんくんの前向きに考えて割り切った執着しすぎない(と思われる)性格が反映された結果、今の永瀬廉が創り上げられている。
それでも見る人一人一人(ファン)によって永瀬廉は違うのだろう。
それを受け取ると言うかそのまま流すことを選択しているのは至極アイドルだなと思う。

とは言え、ここに書いてること全て、れんくんの言葉を借りると 真っさらにしたい永瀬廉(イメージ) の一つなんだよね(苦笑)



今のところ今日までに掲載された雑誌を読むと、書かれている内容がほぼ同じで、今までこれ程までに各誌話が被っていたことがあっただろうか…と。
それほどまでにれんくんが忙しかったのかなと推し測ってしまう。
今年の年の瀬、例年以上に多忙のれんくん。
それでも「楽しい」と言うのだから最高にアイドル。
くれぐれも体を壊さず無事に年始まで駆け抜けられますように。




*1:これは私がれんくんに対して諦めに近い気持ちを持っていたという意