いつか記憶から零れ落ちるとしても

思いやりのある優しい男の子

諦めと祈り 恐れと願い



ここ数ヶ月に感じてることを一気に書き出したら長くなってしまった 長すぎる(苦笑)長いので読みにくいし最後まで読む人居ないだろう(笑)
ちなみに、もうずっと『れんかい』しか見てない。







うちあげの終わり方(最後のYouTube垂れ流し等)に不満はあるものの(苦笑)やっとれんかいから対ファンへの普通のトークと言うか声が聞けたと思った。
ツアーの挨拶はどの回も胸を打つものばかりで、聞くたびに見るたびに大好きだという想いが強くなる。
ただそれらは常に責任と覚悟といった重みが伴っている。
そういった責務のようなものをうちあげでは感じられず、以前のように楽しく明るく話していて、その様子を声を生でこの目で見ることが出来て嬉しかった。
企画の合間はほのぼののびのびしていたし、話したいことを話して、これからの展望を話してくれた。
特に畏まる訳でもなく普通に自然にいつものテンポとトーンで今後(来年のこと)を話すのは久しぶりで、本当に嬉しかった。



ツアーで見たれんくんは頼もしく見えた。
後ろ姿が背中が頼りたくなる雰囲気だった。
環境や立場は人を育てると言うようにまた一段と頼もしくなった気がする。
ドリボを終えた後やクリエを終えた後自分達の帝劇を終えた後に感じた成長や仕事人っぷり、その姿に感動を覚えたその時に近い感覚。
でも今回の過程はそんな素晴らしいものではなくて環境の変化により頼もしくさせられた(変化が頼もしくさせた)のかもしれないなんて思うとその頼もしさや成長にちょっぴり苦味を覚えた。



れんくんは話す機会を設けられることが多く、自然とこの一年について聞かれることが多くなる。となると否が応でも話さなくてはならない。そのため何でも話すと嫌味を言われることもしばしば。
そんな中で今年になってから「俳優業はキンプリ(グループ)のため」とインタビューを受けたどの媒体でも話している。
聞かれるからなのもあるだろうけれど、今まで以上にわざわざその言葉を言っている*1のは、それほど感じていることがあるのかもしれない。アンチやファンから言われていることを多少は把握しているだろうし。
だからこそ今改めてはっきりと言葉にしておきたいのではないかと感じる。
れんくんの一つ一つの言葉に託す気持ちや意味が以前よりも濃くなっているように思う。こちらの受け取り方次第だけれど。


言葉と言えば、最近かいちゃんについて「相方」「微笑みますよね」と表す・語るようになった。
その言葉の数々から、以前よりストレートな表現になったことから、れんくんにとってかいちゃんは掛け替えのない唯一無二のパートナーになったのだと実感する。小競り合いをする相手でもジュニア時代から一緒にいたメンバーでもなく。
言葉にすることが苦手なれんくんが、2人で活動を始めた時には照れて言葉を紡げなかったれんくんが少しずつ真っ直ぐ話すようになってきている。
この半年を通して、それくらいかいちゃんが隣にいることが愛おしく大切で心強いと感じる日々なんだろう。
「いろんな気持ちを分け合ってる」とまで話していて、他人(ひと)の深層にある心情は触れられないと泣いた日々は過ぎ去り、見せたくないとも話していた自分の感情を分けても大丈夫だと信じる今を手に入れたんだなと胸がぎゅっとなる。
直近の雑誌やTVでは「夫婦」「一連托生」などと言い、れんくんからかいちゃんに向けられる言葉がラブコールみたいになっていて動揺すると言うか若干の束縛が感じられてどうした?!となる(笑)
かいちゃんについての表現にどこか重さを感じるのは今回で失うことの怖さ・痛みを知ってしまった所以かもと思わなくもない。
まぁれんくんの中でしっくりくる感覚の言葉がただこれらだっただけのことだろうね(笑)

そして、その分かいちゃんの隣に立つ自覚も強くなっただろうと思う。
今まで相対する位置に居ることがほぼなかったからこそ芽生えた意識や気持ちがあるのではないかと。
“海人のダンスまで見劣りするかもしれない、海人の武器であるダンスの評価が下がってしまうなんて許せない”という話からも感じる。
2人になったゆえの覚悟と隣に立つことの自覚。
でも、れんくんがこう思うようになったのはかいちゃんが“ダンスを好きになって”“楽しんで”“かっこいい”と根気よく伝え続けたからでもあるはずだとも思う。

日頃からかいちゃんのことを認めていると言うか凄い!と感激しているれんくんが「海人とは平和な関係性を保っていたい。海人とは勝ち負けを決めるよりも認め合いたい存在だから。」と話すのも立ち位置が常に隣になったことが関係している気がする。
認め合う=かいちゃんに認められたいという気持ちがどこかあるのではと意地悪なことも思ってしまうが(笑)
とは言え、かいちゃんもれんくんを褒めてくれてることが多い。
それに割と個人仕事もチェックしてくれていて、れんくんにもファンにも“廉のこと見てるよと”と直球もしくはさりげなく教えてくれる。
認め合いたいと言うのは対等の関係性であることが前提。
対等でありお互いを尊重する。
かいちゃんにとって(れんくんにとって)隣に存在する人がれんくんしか(海人しか)居ないということ、隣に立つことの意味や意義をれんくんはこの半年でかなり感じていそうだと思った。

そう書きながらも、脱退の諸々で認め合う(相手を認める)ことがより一層大切だと感じたのかもしれない。
そう思うと何とも言えなくなる…
だって話し合うことが必要だと感じ、話すことを意識的に増やしたと公言している。お互いの考えを擦り合わせ、聞かれたことへの言葉やニュアンスは違えど2人も同じ一つの答えを提示するようになっている。
だから公言するということは今までを振り返ってみて必要だと感じたのではないかと思ってしまう。
かと言って、以前が出来ていなかったとは思わないけれど。
それでも他メンにどこか遠慮や内側に抑える留めておく面が多かったのかもと思う。*2
逆に言えば、かいちゃんとなら認め合う関係性や雰囲気を築けると信じている、と言うか思ってるんだろうな。


「周りからのちょっと触れづらいって空気を感じる機会も多かったと思う。そんな時2人で一緒に現場にいると気持ちを半分こしている感覚でちょっとラクになれたんだ」という言葉を読んで、1人で話し1人で様々な想いを受け止めたラジオはどれほどの負荷が掛かったのだろうか…と改めて胸が締め付けられる。
一年経ってあのラジオについて聞かれた時、話すまでに数秒間沈黙があったという。
慎重に取り扱いたいことであり進んで話したい事柄ではないのだろう。当然だよね。
だからという訳ではないけれど、やはりかいちゃんが隣に居てくれてよかったと思う。
「廉のラジオに救われた」という言葉でれんくんがラジオで1人で語った意味があったと思っていたらいいな。
「救われた」とれんくんに直接伝えることの出来る距離(側)にいる人、これからも共に歩んで行く人からの「救われた」は誰よりもれんくんに大きな力をもたらすだろうから。
私は庭ラジでれんくんの話(気持ち)を聞けたこと、当時も今もよかったと思っているけれど、やはりその負担や反響は良くも悪くも物凄くて、れんくんにきつい思いをさせていないかと気になるところもあった。
だから少なくとも私はかいちゃんの救われたという言葉に救われたんだよ。

れんくんに「いろんな気持ちを分け合ってる」と言い切れる相手が側にいること、仲間であること、何よりも強いはず。
感情を分け合えるのは相手も同じ想いであると信じ相手を信頼している証拠でもある。

2人での今を楽しく感じていて未来を描こうとしている今が、続けることを決断しながらも意味があるのか不安を感じていた初めの頃より少しでも(2人でやって行くことに)自信を持ち意味や意義を見出すことが出来たという表れであれば私は嬉しい。
最近改めて『続ける』という想いを持った人が2人いたのは、れんくんとかいちゃんの意見が一致したのは、奇跡だと感じている。

それに、仕方ないと諦めに近い割り切りを選択したれんくんがかいちゃんとなら出来る・築いていけると信じ直せた。
本当に凄いことだと思う。
だから、少しでも長く、せめてもうしばらくは続きますようにと願わずには居られない。




*1:私の体感だが

*2:れんくんはメンバーカラーや選曲等でいつも全体のバランスを考えていた