いつか記憶から零れ落ちるとしても

思いやりのある優しい男の子

12時までのドリーム


事実とか真実とか本心とか近いところまでは知ることが出来るかもしれないけれど、近いところであって触れることは出来ない。
だから今から書くのは感じたこと、主観。















先月のセレクションで去年のクリスマスSPの映像が少し流れ、12月に感じたことを思い出してしまった。


シンデレラクリスマスで平野くんが超ご機嫌で楽しそうにしてるのを見るとちょっぴり切なくなるのは何でだろうなあ…

仲良し・可愛いといった感想が溢れる中、真っ先に感じたことがこれだった(苦笑)
私がなぜそう感じてしまうのか検討はついていた。
切なく感じるのは、3人で居る時には見せない姿だったからだ。
3人の時には決して出さない。
本当に心からとても楽しそうで、6人から3人になって約2年経ったけれど、それでも2人の力では引き出せない表情や姿なんだ…と痛感して少し切なくなった。

3人の中で爆笑したりふざけたりはしゃいだりするところを見たことがない訳じゃないけれど、どこか違っていて。
何が良いとか悪いとかではなくて、ただ切なく感じてしまった。

これが平野くんの担当の方が言う、3人でいる時に背負ってる最年長やセンターとしての責任からの解放なんだろうか。
2人の力が及ばなかったようにも思えて少しだけ悔しい気もする(笑)


平野くんのストイックさ(努力)は認められるためと自分を守るためのものだと私は思っている。
そして、自分を守るためのものとして道化のようなキャラクター(天然や言い間違え)が存在しているとも思っている。
だから、20歳のお誕生日の時に
「ファンに想像の余地を与え、その想像や妄想に寄り添う人だなぁという印象を受けます。(中略)最近は自衛として作り上げた像の深みに嵌り苦しくなっているように時折思えるので過去に作った枠のようなものに自身を繋ぎ止めずにもう自分を出しても良いのではとも思ったりする。賢い人だから心配する必要はないのだろうけれど。」
とツイートした。
そして21歳になった今年は
「期待を寄せられそれに呼応する人になるのかなと思います。(中略)去年一年を通して何処に居ても孤独に見えてしまう時がどうしてもあって真の意味で周りをもっと信じ頼ってみても良いのではと思うことがしばしば。今回の件で少し変わったのかなとも思ったりするけれど。そして過去に作った枠に囚われなくてももう大丈夫のはずと改めて思う。」
とツイートした。


平野くんが求めたのは仲間だったというのを見て、考えてみたら私が平野くんに想うことが成立するのは、と言うか、成立しているのは最初に述べた姿なのかもしれない。

馴れ合いと批判されることもあるし、行き過ぎと感じる時もあるけれど、ベストコンディションを出せる場であるのだと思う。


やっぱり切なく感じてしまう(笑)
キングがホームと称されても孤独に見えてしまっていた理由の一つかもしれない。

でも、これからは6人で歩んで行くから気にしなくてよくなるんだろう。
そう感じなくなるんだろう。
こんな風に感じたことを忘れるんだろう。
だから記しておく。