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好きこそ物の上手なれ

note


ブログのアクセス解析を見ていたら、春松竹という単語で検索に引っかかってた。
アクセス先を開くと千秋楽の記事だった。
その記事を読んでいると、当時のれんくんの姿を思い出して半泣きになってしまった(苦笑)

考えたら、れんくん関連で泣いたことはほとんどが愛しさから来るものや感動から来るものばかりだと気付く。
決して本人の態度とかで嫌な思いをして泣いたことはなくて、頑張ってる姿やかっこいい姿を見て涙する。

凄く幸せなことだね。

まいジャニコンが出来たこと、ツアーで全国を回ったこと、レンの役を全うしたこと、少クラの関西のコーナーの東京収録に呼ばれたこと、ソロをもらえたこと、20時の壁を越えた時、歓声や団扇が一気に増えたと感じた時、城ホールでムラサキを歌ったこと、先輩達のデビューを見送る姿、春松竹にメインとして何もかも背負って立っていたこと、クリエに立ったこと、少クラのコーナー収録を自分達だけでしたこと、バク転が出来るようになったこと、帝劇に立ったこと…

新規の私が数え上げてもこれだけある。

こうやって一つ一つをなぞって噛み締める度にれんくんに出会えて嬉しいって思う。
出会った相手がれんくんでよかったと思う。


QLAPの紫耀さんのところに書いてあった
「バック転が危険だからって後半やるのやめてたんやけど、『最後だけは決めたい』って廉が言って、やることに。」
という一文を読んで、愛おしさが込み上げてきた。

強い意志や高い意識を感じる。

新規の私が見始めた頃でさえも震えてマイクを持てなかった子が、カメラを見つめられなかった子が、最後は絶対にキメてみせる!と誓ったんだね。

真っ直ぐ突き進む姿が眩しい。
真っ直ぐすぎるぐらい真っ直ぐ、愛おしくて仕方がない。

思いやりがあって優しくて良い子で頑張り屋さんなところが本当に好き。
そして愛しいと思う。

私が好きなところ、れんくんをれんくんとして認識する基軸のようなものはここなんだ。
あたたかくて柔らかくて、だけど芯は通ってる。
何事に対しても常に真摯。
その面を見つける度に恋をするんだと、また好きになるんだと思う。何度でも。




それでも応援を続けることに限界を感じ始めている…。
スピードに着いて行けず降りる人も居る中、私はなぜか必死にしがみついてる…なんでこんな想いをしてまでしがみついてるのかはわかんない。
どんどん見れない姿が増えて行く。
けど、嫌いになった訳じゃないから離れられないんだよ。
我儘なのはわかってるけど、れんくんに関しては落ち着いて見ていたかった応援したかったというのが本音…
もう少し密やかに愛でたかった(苦笑)
あまりにも変わるスピードが速すぎて心が着いて行かない時がしばしばある。
ちょっと掴めたと思ったら一気に進む…。
けど、疲れると感じるくらい大好きでもある。
めんどくさい厄介なファンすぎて自分で自分が嫌になる…

どうしても深く見ようとしてしまうから余計に疲れるんだろう。
些細な変化も見落としたくなくて少しでも拾い集めたくて見ようとする。
なるべく見せてくれるもの全て残らず大切にしたいから。
と言いつつ、深く見る必要なんてなくて表面だけ撫でていれば良い気もする。
見ようとしても見れる訳がない気持ち悪いなどと言われていたりバカにされているのを見かけた時は特にそう思う。

とにかく、頑張ってる人の姿を見て勝手につらくなるなんて失礼な話だ。


れんくんはまだまだ伸び代というか頑張りどころがたくさんあって、応援し甲斐と言ったらおかしいかもしれないけれど、応援したくなる相手。
だから担当やファンという立場で目撃者でありたいとも思う。

結局、こんなことを思うのは上に記した通り我が儘。
それに贅沢なのもわかってる。


セクゾンデビュー3周年のイベントに駆り出されている姿を見た。
先輩達と並ぶ現場特有の"可愛いれんくん"だった。

でも、このようなことをするのはメインの時まで取っておいて欲しかったし、何より特別な機会に入り込まさせるのは辞めて欲しかった。

最近東ジュと変わらない扱いを受けていて*1、わああああと驚きつつもなんとなく微妙な気持ちになるというか複雑というか、、、心が苦しくなる…
潔く推されとして扱われていた方がマシかもと思える程‥‥。


「好きこそ物の上手なれ」と言うけれど、応援はそう上手くは行かないものである。

やっぱり気持ち悪いヲタクの戯言でしかない。
自分のヲタク部分が消えたら良いのに。。。







*1:少クラでも当たり前に居て、普通にバックをするようになってる