いつか記憶から零れ落ちるとしても

思いやりのある優しい男の子

本格的な夏を呼び込む


WSを見て、
れんれん普通に東京で仕事して普通に喋ってる!代表してコメントしてる!地上波で流れてる!かっこいい!!!
って今じゃ東京の仕事なんて当たり前とされていることなのになぜかすごく感動してしまった(恥)
でもでも、関西に居た頃や関西を拠点にしていた頃には考えられなかったことで、すごく感慨深くて、かっこいい!凄い!って自然と込み上げてきたんだ。

「永瀬廉(16)」という表記が眩しい。
前より幾分か大勢の前で話すことが慣れたように見える。
けれど言葉を紡ぐ・単語を繋ぐという表現そのものの様子で一生懸命述べようとしている姿と動いてる口が少し歪みがちなところは未だに変わってないね。
話す時に構えてしまう(癖みたいな)感じ。

華やかなステージに立つれんくんは一層キラキラしていて可愛かった。フレッシュな初々しい雰囲気も可愛かった。
羽ばたく第一歩になるのかな。
良い経験になりますように。



形態や名称が変われども、そこにれんくんが居る、その事実が一年後の今も変わらずに在ること、それが嬉しい。
だって、その位置を守り続けること・そこに在り続けることは簡単ではないだろうから。だからやっぱり嬉しい。
そして、かっこいいと私は思う。
いつどこで誰と居ても、居場所があるってとても大切なことだと思っていて、それは名称という意味だけじゃなく役割(必要とされていること・存在意義)も含める。
場所は必ずしも用意されるものではなく今あってももしかしたら明日にはないかもしれない、それが当たり前の環境の中で位置も場所も守り抜いてるのは本当にかっこいいと思う。
しょうれんかいは「推されだから」という一言で片付けられる場合が多々あるけど、推されること自体、運や才能の一つで、またその状態を継続させること・奪われないようにするには本人の力が少なからずとも必ず関わってる。
私は本人の環境や状況をなるべく受け入れたいし、見せてくれる姿をそのまま受け取りたいと思うのは本人がそのために頑張ってると思うから、要はそう思う所以でもある。


背伸びしてた春、空回りしてた春の名残りのある初夏、ひた向きだった夏、不安を零しつつも跳ね除ける勢いのあった秋、いたずらっ子な顔をしながら緩やかに時を刻んでいた冬、隠しきれない疲れに負けずに取り組んだ年明け、逞しい姿を見せた一年越しの春。
そして今に至る。
今年も春の名残りを感じさせる丸々としたお顔だったけれど、去年よりは空回りが減った初夏だった。
見せる姿がほんの少し等身大に近付いた気がする。
そういえば雑誌で今年はクリエのMCを褒めてもらえて嬉しかったと言っていた。よかったね。
MC以外も気に掛けて欲しいと思いつつも、褒められたと聞くと嬉しいし、何より評価されたことでれんくんの価値や存在意義が守られたような気がする。

この夏はどんなれんくんを見せてくれるんだろう。
そして、夏を越えたれんくんはどんな風に変わるんだろうね。




いつからか囲む景色は変わり、周りにいる人も変わり、それに伴い本人の意識や価値観が変わって行く。
基軸や根っこの部分は変わらない、わかっているし見て知っているし、でも変わりゆく部分にどうしても注視してしまう…
心から何かがどんどんすり抜けて行き色んなことが遠のいてく。
好きな人が遠くへ行ってしまったのではなく、もともと近くにいる訳でもないのだから自分の気持ちが遠退いてるのだ、と見かけた。
なんだかぐさりと心に突き刺さった…
気付かないふりして変わってないと思って、けどほんとは気付いていて。
根幹は変わっていないと見えていることも願望の思い込みだったりするのかもと時折怖くなる(苦笑)
変化とは当たり前のことなのに目を逸らしたくなってしまうよ。

変わってないと思っていたかったけど、やはり変わって行ってるんだとれんれんのファンの文章を読んで気付かないふりをしていた部分を久しぶりに直視した。
淋しくて寂しくて。
東京の仕事が増えて、東京のJr.の友達が増えて、染まって行く姿を見て見ぬ振りしていたけれど、
もう避けて通れないんだろうな‥‥
なんて勝手すぎるくだらなすぎることを思う