いつか記憶から零れ落ちるとしても

思いやりのある優しい男の子

夜空まで輝く



ブログやask、人への返信では「れんさん」って書かないように一応気を付けてる。
私が「れんさん」って呼んでたら周りに伝染して?お友達はれんさん呼びしてくれるんだけど(笑)お友達が私にれんさんの話をするとき「れんさん」って言われるとなぜか物凄く恥ずかしい…でも嬉しかったりする。
13歳の子を「れんさん」って呼ぶのは端から見たら滑稽だっただろうなと思う(苦笑)14歳の子を「れんさん」って呼んでるのも物珍しかっただろうと思う(苦笑)
「れんさん」と呼んでるのは今でも他人から見れば気持ち悪いと思う。
だけど、私には尊くて眩しくて可愛くてかっこよくて愛しくて、そんな気持ち?を込めて「れんさん」って呼んでた。
子供なのに躊躇わずに無邪気にありのままにアイドル業を熟す姿がとても新鮮だったというのもある。
「廉さん」じゃなくて「れんさん」
漢字にすると粋だけど渋さがあるように感じて、だから敢えて平仮名を使ってる。どうでもいいこだわり(笑)
これからもれんさんはれんさんだなぁ…きっとれんさんって呼び続ける。



わたしが名前団扇を持つ理由は、
持って居たら君のファンは居るよ!って伝えられるしあの子のファンは居ます!って主張できるところが好きなのと、
もし本人の視界に入ったら自分を見てくれてる人が居ると嬉しく思ってもらえるんじゃないかなって、だってそのステージに立つまでにどれほどまでの努力苦労練習をしてきたか、私だったら成果を出してる姿を1人でも多くの人に見てもらいたいし見てもらえたら嬉しい、そう思うからなのと
あと、視界に入って団扇を見つけた瞬間にその子の顔が一瞬にして明るくなって笑顔になる、それが嬉しくて幸せだから。
せっかく貴重な時間を私もその子も費やすんだし、お互いにハッピーな時間を過ごせるのが一番だと思ってて、そんな表情を見たら、私がここに来て居て団扇を振ったことは間違ってなかった良かったと思える。
所詮ヲタクの自己満足の部分を体良く消化してるだけと言えばそうなのだけど、少しでも本人にとってプラスであれたらという想い…。
だから色んな団扇があるけど名前団扇が好き。

けど、その定義?からすると、団扇を振る相手はれんくんではないのだろうなぁ‥‥




もっとのんびり応援していたかった、というのは我儘なんだろうな。
でも、もっとゆっくりというか丁寧に応援したかった。
ちょっとずつ好きとか思い出とか積み重ねて行きたかったなと思う。
色んなことがありすぎて、咀嚼する暇噛みしめる時間がない…ひっそり落ち着いて見たいのに。
出来事、パフォーマンス、表情、成長、姿、発言、自分の気持ちなどをきちんと一つ一つ毎回確かめて行きたかったのかもしれない。
今の状況は非常に有難いこと嬉しいことなのだけど、なんだか「応援している」実感が湧かないというか…

どれもこれも新規が言うことではないのだろうけれど。


それにしても何かある度に反感を買うようになってきていてつらい‥‥
覚悟はしていた
やだなぁと思うなんて子供じみてるとわかっていながらも、つらいし嫌だ。
だって何か悪いことした訳じゃないのに。
でも、それはみんな同じことだよね。
みんな応援してる子のことが大好きだから出る言葉だとわかっていても、やっぱり悲しい…